まだ三寒四温という時候には早いのかもしれませんが、暦の上では既に春。
ここのところ肌寒い…を通り越して、しっかり寒い日が続きましたが、昨日今日の雨は、まさに春を思わせるそれです。
南向きに残っていた僅かな残雪はもちろんですが、北向きの屋根に積もった雪も、まるで雨に洗い流されたかのように、すっかり少なくなっています。
そういった意味では、今年の冬は寒い日、暖かい日のメリハリが利いていて、そうした意味では上がり下がりの激しい温度変化により体調を壊す人が多かった…そんな風に聞いています。
寒いなら、しっかり寒くしてくれさえすれば、それなりの対応…気をつけるのだけれど、やはり、ちょっとばかり暖かいと気も緩むし、温度管理も怠りがち…というわけか?
ともかく、もう早いもので2月も中旬に差し掛かれば、一気に春に向かっているわけで。
庭に目をやれば、すでに地を這うような雑草の新しい芽が、雨粒を受けてイキイキしているのを見つけました。
一雨ごとに近づいてくる春。
心なしか、午後の陽射しは春のそれでした。
♪はぁ〜やく来い! 春!
<完>
「まばたき」とは、通常の人であれば1分間に20〜30回が一般的だと聞きました。
瞬きしたことで、一瞬の視覚情報が失われる。
100分の3秒の視覚情報の欠落が、自分の命に関わるとしたら…、まばたきなんてしてられない! というのは、至極当たり前のことだと思います。
テレビ番組でその辺りジックリ分析していました。
いまオリンピックで注目を集めている「滑降」、ダウンヒルの世界でのこと。
時速100kmを超えるスピードの世界で、たった3/100秒の情報の欠落とは、どんな世界を意味しているのでしょう。
スタートしてゴールするまでの、ほぼ1分間程度の時間の中で、たった1回のまばたきしかない…そんな実際の記録を拝見すると、人間も身体のスゴサを痛感させられます。
ほかの人間が持ち得ない、そんな脳の能力を引き出すには、一瞬のまばたきさえもコントロールして、情報を得ては身体の動きに連動させるとは、いわば平々凡々な身体の動きには必要ないのかもしれません。
しかし、仮にそこまで研ぎ澄まされた緊張のなかに無くとも、五感を磨いて豊かな反応ができたら幸せだと思います。
<完>
今回にタイトルした両チームとも、言わずと知れたスペインリーグの雄なわけですが、先日、友人との間でバルサかマドリッドか…という議論になりました。
プロ野球で考えれば、「あんたは巨人ファン? それともタイガース?」みたいな感じです。
この南信州でのこと、彼のスペインにまで思いを馳せて、どちらがどうという、まあどっちでもいい議論なのですが。
ただ、
「レアルマドリッドのあの白いユニフォームが魅力的」…とか、
「その当時にだれだれが所属していた…」とか、
そういう議論とは別に、あのスペイン内乱当時に…、つまり「誰がために鐘がなる」で有名なヘミングウェイの世界を背景に、あのレアルはフランコ政権の系統だのなんだの…だから、歴史的に観てレアルは許せない…といった議論になったわけで。
チームそのものの由緒・来歴をたどって、ファンになれる・なれない…の話しになりますと、おいそれと歴史への理解を抜きにして、贔屓のチームを語れなくなってしまうわけです。
例えば、ある時期のバルサでヨハン・クライフが活躍をしていた当時に、レアルにはG.ネッツァーが所属していたわけで、当時の西ドイツ代表チームのミッドフィルダーを好んだか、それとも準優勝に甘んじた空飛ぶオランダ人…FWを好んだか…。
読売新聞が嫌いだから巨人が嫌いで、反面、阪神が好きで、朝日新聞を読んでいる…式の棲み分けが、当然の理屈のように理解され、そう為されていると同じように、フランコ独裁を云々しながら贔屓のチームを語り合っている、幸せな時代のサッカーファンならではの議論も、また楽しいものです。
フランコがどうの、こうの…の議論は別に、アスリート集団としてのレアル・マドリッドは魅力的だと思います。
もちろん、同じくらいバルサも、です。
<完>
はっけよい!
のこった・のこった!
地面にざっと円を描いて、さっそくに取り組みをする…
古きよき時代に、スポーツらしいスポーツがなく、あっても道具の用意のことなどあって、子どもたちが遊ぶについても、何かと制約が多かった頃に、「すもう」は最も手軽な遊びであり、スポーツだったということを聞きました。
それに引き換え、今日ではおそらくこうした光景を見ることは皆無に等しい。
世の中の変化に応じて、こうした変遷は致し方ないことだとは思います。
しかし、「子どもすもう」の最高峰に位置するでしょう大相撲の今日を観ると、たいへん残念な気持ちです。
報道を観ていると、ゴタゴタとか、モタモタ…といった擬態語がたくさん出てきて、見聞きしている者としては
「たしかにそうなんだ」
そう納得してしまいます。
理事会選挙のことや例の暴力ざたの件など、なんとも大きな「村社会」だことか…そう感心してしまいます。
いや、起きていることは決して感心できることではないのですが、よくも「村社会」を象徴する事件が多発していることか…
大相撲の伝統云々を言われていますが、後世に残すべき美しき善き伝統と、時代と共に変化し姿を代えてでも繋いでいかなければならない伝統と、それぞれあっていいと思います。
子どもたちがあこがれて、
「おすもうさんになりたい」
そう、羨望の目で見つめられるような、そんな大相撲に生まれ変わってもらいたいと望んでいます。
おすもうさん、一人ひとりが真のアスリートとして真っ直ぐな評価が得られますよう…。
次代のおすもうさんのために。
<完>
ある先輩の方から「天神講」という行事のことを聞きました。
厳冬の1月の末に、当番の子どもの家にご近所の子どもらが集まって、学問の神様である天神様…菅原道真のお祭りをしたそうです。
子どもたちの集まりだったので、お祭りとはいってもコタツを囲んでみかんをほうばりながら、カルタをしたり、双六に興じたりと、子ども会の延長のようなものだったそうです。
「そうです」と伝聞調になっているのは、この頃では行われていないようでもあり、また、その先輩の当時でも地域によって「やった」という方から「そもそも、何それ?」まで反応が様々のようです。
ネットで検索してみましたら、その日は1月25日と決められていて、江戸時代から続いている古いお祭りのようです。
今でも営々と続いている地もあるそうです。
冬の遊びが少ない季節に、昔の厳しい寒さの環境の中で、子どもたちが集まる、ひとつのきっかけとして「学問の神様」をテーマにするところなどは企画としても心憎い。
そういえば、「寒中休み」という学校の休みも消失して久しいらしく、その辺りの変わり様もなかなかです。
そういえば、共通一次だとかセンター試験だとか、それぞれの言葉で「世代」を分けることもあるとのこと。
こうした小学生〜高校・大学に至る十数年のうちに起きたことの記憶や、その記憶が与える影響とは、大きなものがありそうです。
既に梅の便りも届いて、天神様もお喜びかな?
<完>