南信州・遠山の保険屋さん便り

南信州は遠山郷の損保・生保代理店M&Mトオヤマです。姓は遠山、生まれも育ちも遠山にです。皆様には親子2代で大変お世話になっております。さあ、ここは2代目遠山の見た遠山郷の話題を中心に日々を綴ります。

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おめでとう! 日馬富士

人気とか注目度ろいうものは、恐ろしく、また、残酷なもので、大相撲のそれについては、明らかに低迷を続けていたと思います。

今場所も、正直なところ、「ああ、お相撲やってる」程度の関心だったのですが、千秋楽が近づくにつれて、俄然盛り上がりを見せました。

そして、今日の結びの一番。久しぶりに握った拳に力がこもるような、大一番でした。勝負が着いて、見ている側がどちらが勝ったから、と言うでもなく、よかったよかったと両雄に拍手を送ることができる、そんな一戦だったと思います。

この一戦に勝利した日馬富士は、見事な2場所連続の全勝優勝。そして、来場所の横綱昇進を、誰に文句言われることもなく、確実にしたものと思われます。

相撲の技術や薀蓄を語れるものではありませんが、しかし、真剣勝負で肉弾と化してぶつかり合う姿は、説明云々ではなく見るものに確実に伝わって来ます。

だから、逆に手を抜いたり、変に技巧に走ったりすると、そのことも隠しようもなく見る者に伝わってしまう。

人気力士と言われる人は、単に人柄がいいとか、面構えがいいとかも重要な要素かもしれませんが、しかし、本来の相撲の内容で以って、人気が裏付けられるのだ、ということを今更ながらに痛感させられました。

さて、このまま推移すれば、おそらく来場所は久々の東西2横綱。日本人の横綱ではないことを寂しがる向きもあるようですが、このグローバルな世の中にそれはさておき、大いに期待したいと思います。

おめでとう、日馬富士!


<完>

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おめでとう! 大関鶴竜

なんとわかり易い口上だったのでしょう。

ここのところ、クイズネタにでもなりそうな、本人舌を噛みはしないかと心配するほどの四文字熟語の連続だっただけに、普段から私たちが使い慣れた・・・ということは、聴きなれた言葉で口上を述べたことは拍手に値すると思います。

これで、以前からの流れが変わって、今後に同様なケースに、同様な言葉遣いがされる傾向になるのではないでしょうか・・・期待を込めて、ぜひ、そうあって欲しいものです。

前にも書きましたが、大相撲はスポーツでもあり興行でもあり、したがって、お客さんがあってナンボの世界なわけです。
そのことを極めて当たり前に、お客様を喜ばす・・・と言い切った、鶴竜は只者ではない! と見ました。

八百長相撲だか、無気力相撲だか、言葉の意味はともかく「お客様が喜ばない相撲」、「お客様がガッカリする相撲」そうした、対極にある姿にさえならなければ、つまり鶴竜が言うところの単純にお客様が喜んでくれるような相撲が取れるなら、その力士は大相撲にとって、この上ない宝物だと思います。

一番一番の相撲の結果が勝敗であり、勝敗の積み重ねが、優勝争いであり、その優勝争い・・・つまり、頂点を目指して役や立場を抜きにして当ることができる・・・ある意味で素晴らしい世界だと思います。

平幕が横綱と当るチャンスがあって、しかも、勝負は五分と五分、勝利するチャンスまで与えられている、ステキな世界だと思います。

そうした世界に庶民は自分の夢を重ね、あるいは、役力士の存在の大きさを認めながら土俵を眺めているのです。

お客様が喜ぶとは・・・どんなことなのか、スポーツマンであると同時に、サービス業界の一員であることを鶴竜の口上に学んで、相撲界は「不撓不屈の精神」(笑)で臨んで頂きたい・・・
(最後の一文はもちろんシャレです)

おめでとう、鶴竜

がんばれ、鶴竜

横綱になる日のことを期待して応援しています。


<完>

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真央ちゃん

追悼

昨日のニュースで驚き、悲しみました。

女子フィギュアスケートの浅田真央ちゃんのお母さんが亡くなられたと…訃報に接して、謹んでお悔やみを申し上げます。

3大会ぶりのグランプリファイナル進出、その大会をキャンセルして日本に帰る…というニュースを聞いたときには、事情を知らないものにとっては、ただただ「?」だったのですが、そんな深い、悲しい事情があったとは知りませんでした。

今朝のニュースでは、気丈な真央ちゃんの様子が伝えられていますが、お母さんと二人三脚で極めてきたフィギュアスケートのこと、きっとに消沈されておられることでしょう。

最期を看取れなかった真央ちゃんに代わって、父の敏治さんがこう語ったそうです。

「やっと苦しかった闘病生活が終わったことを自分なりに納得し、今は気丈にしています」

と。

カナダからの空路、さぞかし長い時間だったことでしょうに。お気の毒です。

ここはゆっくりされて、お母さんを弔って差し上げて頂きたいと思います。

そして、再び銀盤に戻ってきて下さい。

元気な真央ちゃんの姿をみんな待っていますよ。


<完>

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スティーブ・ジョブス スタンフォード卒業式辞 (日本語訳)

ここのところ、ニュースで採り上げられているスティーブ・ジョブス氏がスタンフォード大学の卒業式に際して贈った式辞の日本語訳がありました。

http://www.steve-jobs.org/ というサイトから引用しました。
ゆっくりと、しかも、しみじみと読んでみたいと思います。

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Steve Jobs Stanford Commencement Speech 2005

COMMENCEMENT ADDRESS.
ありがとう。今日は世界で最も優秀と言われる大学の卒業式に同席できて光栄です。実は私は大学を出ていないので、これが私にとって最も大学の卒業に近い経験になります。今日は私の人生から3つのストーリーを紹介します。それだけです。大したことありません。たった3つです。

ABOUT CONNECTING THE DOTS.
最初は、点と点をつなぐ話です。
私はリード大学を6ヶ月で退学しましたが、本当に辞めるまで18ヶ月ほど大学に居残って授業を聴講していました。ではなぜ辞めることになったか?
その理由は私が生まれる前に遡ります。私の生みの母親は若い未婚の大学院生でしたので、彼女は私を養子に出すことを決めていたのです。彼女は育ての親は大学を出ているべきだと強く感じていたため、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることになっていました。ところが、私が生まれる直前に、本当に欲しいのは女の子だと。そういういきさつで、養子縁組を待っていた今の両親は夜中に「予想外に男の子が生まれたので欲しいですか?」という電話を受けたのです。彼らは「もちろん」と答えました。しかし、生みの母親も後で知ったことですが、母親は大学を出ていない、父親は高校も出ていませんでした。そこで、生みの母親は養子縁組の書類へのサインを拒みましたが、何ヶ月か経って、今の両親が将来私を大学に行かせると約束してくれたので、気持ちが整理できたようです。これが私の人生の出発点になったのです。
17年後、実際に大学に入りましたが、私はあまり深く考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったので、労働者階級の親の収入のほどんどは大学の学費に使われていました。半年もすると、私はそこに何の価値も見出せなくなっていたのです。人生で何がやりたいのか私自身に考えがなかったですし、それを見つける手助けを大学がどうしてくれるか思いつきませんでした。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を使い果たしている。だから退学を決めたのです。それが全てうまく行く道だと信じて。もちろん当時はかなり怖かったです。ただ、いま振り返ると、これが人生で最良の決断だったのです。というのも、退学した時点で興味ない必修科目は受けなくてもよく、自分にとって面白そうな授業に集中できたからです。
寮には自分の部屋もなく、夢を見れる状態ではありませんでした。夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、食費のためにコーラ瓶を店に返して5セント集めしたり、日曜夜はハーレクリシュナ寺院のご飯を食べに7マイル歩きました。これが私の楽しみでした。こうした自分の興味と直感に従うだけの多くの体験があとになって値段がつけられない価値に変わったのです。ひとつ具体的な話をしてみましょう。
リード大学には、当時おそらく国内でも最高のカリグラフィ教育がありました。見渡せばキャンパスにはポスターから戸棚に貼るラベルまで美しい手書きのカリグラフィばかりだったのです。私は退学したのですから普通の授業はとる必要もないのでカリグラフィの授業を受けて手法を学ぶことにしたのです。私はそこでセリフやサンセリフの書体について習ったり文字と文字のスペースを変えていく概念についてつまり異なる文字のコンビネーション手法など素晴らしいフォントの作り方を学問として学びました。フォントは、美しく、歴史的にも、芸術的にも、科学で把握できないほどの緻密さでしたのでそれは私にとって魅力的な発見となったのです。
フォントは、人生の役立つという期待すらありませんでした。しかし、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する時にその知識が役に立ち、マックの設計に組み込むことにしました。こうして初めて美しいフォントを持つコンピュータが誕生したのです。もし私が大学であのコースを寄り道していなかったら、マックには複数の書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるマネに過ぎないのでこうしたパソコンがいま世界に存在しないかもしれません。もし私が大学を退学していなかったら、あのカリグラフィの授業に寄り道することはなかったしパソコンには素晴らしいフォント機能がないかもしれない。もちろん大学にいた頃の私には、未来を見据えて点と点をつなげることはできませんでした。しかし10年後に振り返えると、とてもハッキリ見えることなんです。
もう一度言います。未来に先回りして点と点をつなげることはできない。君たちできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だから点と点がいつか何らかのかたちでつながると信じなければならない。自分の根性、運命、人生、カルマ、何でもいいから、とにかく信じるのです。歩む道のどこかで点と点がつながると信じれば、自信を持って思うままに生きることができます。たとえ人と違う道を歩んでも、信じることが全てを変えてくれるのです。

ABOUT LOVE AND LOSS.
2つ目は、愛と敗北についての話です。
自分が何をしたいのか人生の早い段階で見つけることができたことは幸運でした。実家の車庫でウォズとアップルを創業したのは、私が20歳の時でした。私たちは仕事に没頭し、10年間でアップルはたった2人の会社から4千人以上の従業員を抱える20億ドル企業に成長しました。私たちは最高傑作であるマッキントッシュを発表しましたが、そのたった1年後、30歳になってすぐに、私は会社をクビになってしまいました。自分が始めた会社を首になるなんて不思議ですが、こういうことなんです。アップルの成長にともなって、私は一緒に経営できる有能な人間を雇い最初の1年はうまくいっていました。しかし、やがて将来ビジョンについて意見が分かれ、仲たがいに終わったのです。取締役会は彼に味方し、私は30歳にして会社を去りました。まさに社会的に追放された感じでした。私の人生のすべてを注ぎこむものが消え去ったわけで、それは心をズタズタにされた状態になりました。
数ヶ月は本当にどうしたらいいのか分かりませんでした。自分が前世代の起業家の実績に傷をつけてしまい、手渡されたリレーのバトンを落としたように感じました。私はデイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスに会いひどい状態にしてしまったことをお詫びしようとしました。まさに社会的脱落者となりシリコンヴァレーから逃げ出そうと考えたほどです。しかし自分がやってきたことをまだ愛していることに少しづつ気づきました。アップルを退任劇があってもは私の気持ちは全く変わらなかったのです。私は会社で否定されても、私はまだ好きだったのです。だからもう一度やり直すことに決めたのです。
その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは、自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者の重圧が消え、再び初心者の気軽さが戻ってきたのです。あらゆるものに確信はもてなくなりましたが。おかげで、私の人生で最も創造的な時期を迎えることができたのです。
その後の5年間に、私はネクストという会社とピクサーという会社を設立しましたし、妻となった素敵な女性と恋に落ちました。ピクサーは世界初のコンピュータによるアニメーション映画「トイ・ストーリー」を創りました。いま世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。思いもしなかったのですが、ネクストがアップルに買収され私はアップルに復帰することになり、ネクストで開発した技術は現在アップル再生の中核的な役割を果たしています。さらには、ロレーヌと私は素晴らしい家庭を一緒に築いています。
ここで確かなのは私がアップルをクビになっていなかったら、こうした事は何も起こらなかったということです。それは大変苦い薬でしたが、患者には必要だったのでしょう。人生には頭をレンガで殴られる時があります。しかし信念を失わないこと。私がここまで続けてこれたのは、自分がやってきたことを愛しているからということに他なりません。君たちも自分が好きなことを見つけなければなりません。それは仕事でも恋愛でも同じこと。これから仕事が人生の大きな割合を占めるのだから、本当に満足を得たいのであれば進む道はただひとつ、それは自分が素晴らしいと信じる仕事をやること。さらに素晴らしい仕事をしたければ、好きなことを仕事にすること。もし見つからないなら探し続けること。落ち着かないこと。心の問題と同じで、見つかったときに分かるものですし、愛する仕事というのは、素晴らしい人間関係と同じで、年を重ねるごとに自分を高めてくれるものです。だから探し続けること。落ち着いてはいけない。

ABOUT DEATH.
3つ目は、死についての話です。
私は17歳の時、こんな感じの言葉を本で読みました。「毎日を人生最後の日だと思って生きてみなさい。そうすればいつかあなたが正しいとわかるはずです。」これには強烈な印象を受けました。それから33年間毎朝私は鏡に映る自分に問いかけてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だしたら今日やる予定のことは私は本当にやりたいことだろうか?」それに対する答えが「ノー」の日が何日も続くと私は「何かを変える必要がある」と自覚するわけです。
自分がもうすぐ死ぬ状況を想像することは最も大切な方法です。私は人生で大きな決断をするときに随分と助けられてきました。なぜなら、他人からの期待、自分のプライド、失敗への恐れなど、ほとんど全てのものは…死に直面すれば吹き飛んでしまう程度のもので、そこに残るものだけが本当に大切なことなのです。自分もいつかは死ぬと思っていれば、何か失うのではかないかと危惧する必要はなくなるので、私の知る限りの最善策です。失うものは何もない。思うままに生きてはいけない理由はないのです。
今から1年ほど前、私は癌と診断されました。朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。医師たちは私に、これはほぼ確実に治療ができない種類の癌であり、余命は3ヶ月から6ヶ月と言いました。そして家に帰ってやるべきことを済ませるよう助言しました。これは医師の世界では「死」を意味する言葉です。それは、子供たちに伝えた10年分のことを数カ月で済ませておけ、という意味です。それは、家族が心安らかに暮らせるよう全て引継ぎをしておけ、という意味です。それは、さよならを告げる、という意味です。
私はその診断書を一日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方に生体検査を受けました。喉から内視鏡を入れ胃から腸に通してすい臓に針を刺して腫瘍の細胞を採取しました。私は鎮静状態でしたので、妻の話によると医師が顕微鏡で細胞を覗くと泣き出したそうです。というのは、すい臓ガンとしては珍しく手術で治せるタイプだと判明したからなんです。こうして手術を受け、ありがたいことに今も元気にです。
これは私がもっとも死に近づいた瞬間で、この先何10年かは、これ以上近い経験がないことを願います。こうした経験をしたこともあり、死というのが有用だが単に純粋に知的な概念だった頃よりも、私は多少は確信も持って言えます。
誰も死にたいと思っている人はいません。天国に行きたくても、そこに行くために死にたい人はいません。それでいて、死は誰もが向かう終着点なのです。かつて死を逃れられた人はいない。それはそうあるべきだから。なぜなら「死」は「生」による唯一で最高の発明品だから。「死」は「生」のチェンジエージェントだから。つまり古いものが消え去り、新しいものに道を開ける働きです。いまの時点で、新しいものとは、君たちのことです。でもいつかは、君たちもだんだんと古くなり、消え去るのです。あまりにドラマチックな表現なのですが、それが真実なのです。
君たちが持つ時間は限られている。人の人生に自分の時間を費やすことはありません。誰かが考えた結果に従って生きる必要もないのです。自分の内なる声が雑音に打ち消されないことです。そして、最も重要なことは自分自身の心と直感に素直に従い、勇気を持って行動することです。心や直感というのは、君たちが本当に望んでいる姿を知っているのです。だから、それ以外のことは、全て二の次でも構わないのです。

STAY HUNGRY, STAY FOOLISH.
私が若い頃 "The Whole Earth Catalogue 全地球カタログ" というすごい出版物があって、私と同じ世代ではバイブルのように扱われていました。それはステュアート・ブランドという人が、ここからそれほど遠くないメンローパークで制作したもので、彼の詩的なタッチで彩られていました。1960年代の終わり頃はパソコンもDTPもない時代ですから、全てタイプライターとハサミとポラロイドカメラで作られていました。それはまるでグーグルのペーパーバック版のようなもので、グーグルが35年遡って登場したかのような理想的な本で、すごいツールと壮大な概念に溢れかえっていました。
スチュアートと彼のチームは ”The Whole Earth Catalogue” を何度か発行しましたが、ひと通りの内容を網羅した時点で最終号を出しました。それは1970年代半ばで、私がちょうど君たちの年代だった頃です。最終号の裏表紙は、朝早い田舎道の写真だったのですが、それはヒッチハイクの経験があればどこか見たことある光景でした。写真の下には "Stay hungry, Stay foolish." という言葉が書かれていたのです。 Stay hungry, Stay foolish. それが、発行者の最後の言葉だったのです。それ以来、私は常に自分自身そうありたいと願ってきました。そしていま、卒業して新しい人生を踏み出す君たちに、同じことを願います。
Stay hungry, Stay foolish. ハングリーであれ、バカであれ。
ご清聴ありがとうございました。

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アップルのスティーブ・ジョブズ会長死去

今日の午前中のこと、友人との会話の中で、あの iPhone ほか、さまざまな画期的な商品開発で有名なスティーブ・ジョブズ氏...アメリカのアップル社の会長が亡くなった...とのこと。

Appleフリーク、Macユーザーの友人にとっては、いわば「神」のような存在だったとのことで、それはそれはショックを隠せない様子でした。

それを照明するかのように、今日のニュース報道では、ジョブズ氏の生い立ちや偉業を伝える論調が大半を占め、ニュース的にも注目の的であったことが分かります。



企業のトップだった経歴からすれば、あのマイクロソフト社のビルイ・ゲイツ氏も、人として彼の死を大いに悼んでいました。
ITという分野で、ライバルではあるものの、さまざまな影響を与え合った彼らの関係からすれば、好敵手としておそらく尊敬をしあった関係でしょう。

パソコンという分野で、それまで数字やアルファベットの羅列を、私たちが言葉として理解できるような、あるいは、目で見て分かるようなインターフェイスに置き換えて、だれもが親しみやすく簡単に使える環境を提供してくれた功績には感謝の言葉のほか、見当たらないでしょう。

Jobsさん、あなたの功績は永遠です。

安らかに眠って下さい。


<完>

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