知人から聞いた話です。
彼が、飯田を離れて東京の大学に通い始めた初めての夏のこと、所属する同好会の合宿があったそうです。
総勢が一堂に会して夕食のときのことでした。
「いただきま〜す」
当番による元気のいい掛け声で何の問題も無く始まった食事でした。
が、最後になって大(?)事件。
食事の終わりの掛け声は、その日は順番にしたがって彼の当番。
何のためらいも無く、そして元気よく
「い・た・だ・き・ま・し・たッ!」
さて、問題はここから。
一堂大爆笑の上に、直後の大喝采。
彼はキョトンとして、その喝采が彼自身に向けられていることを俄かには理解できなかったそうです。
「いただきました」
は共通語のような顔をしていて、実は伊那谷の方言であることに彼が気付いたのは、その後のことだったそうです。
食事が終わって、
「いただきました」
の挨拶は、私たち同世代の記憶では小中学校の給食時にも行われていたと思います。
「いただきます」
で始まった食事が、その反対の言葉で終わるのだから理屈の上でも間違ってはいないと思うのですが。
ただ、他の地域の方々からすると違和感を覚えたり、場合によっては軽いジョークに聞こえたりするのでしょう。
共通語だとか方言だとか言ってみても、要するに慣れの問題。
郷に入らば郷に従え…の図式なものですから、飯田・下伊那で
「"いただきました"の用法が誤りだ…」
な〜んてね、真顔で言ったものなら、そりゃ大変なことになりますよ…(笑)
かくして、その知人の彼は、思わぬギャグ人気に味を占めて、その後も進んで食後の掛け声を役をかって出たそうです。
同じように、「まえ」と「うしろ」、「おもて」と「うら」の関係に悩みつつ、結局のところ、今でも
「まえで ⇔ うら」
の関係が身体に沁み付いて抜けないのは、その知人なのです。
<完>
彼が、飯田を離れて東京の大学に通い始めた初めての夏のこと、所属する同好会の合宿があったそうです。
総勢が一堂に会して夕食のときのことでした。
「いただきま〜す」
当番による元気のいい掛け声で何の問題も無く始まった食事でした。
が、最後になって大(?)事件。
食事の終わりの掛け声は、その日は順番にしたがって彼の当番。
何のためらいも無く、そして元気よく
「い・た・だ・き・ま・し・たッ!」
さて、問題はここから。
一堂大爆笑の上に、直後の大喝采。
彼はキョトンとして、その喝采が彼自身に向けられていることを俄かには理解できなかったそうです。
「いただきました」
は共通語のような顔をしていて、実は伊那谷の方言であることに彼が気付いたのは、その後のことだったそうです。
食事が終わって、
「いただきました」
の挨拶は、私たち同世代の記憶では小中学校の給食時にも行われていたと思います。
「いただきます」
で始まった食事が、その反対の言葉で終わるのだから理屈の上でも間違ってはいないと思うのですが。
ただ、他の地域の方々からすると違和感を覚えたり、場合によっては軽いジョークに聞こえたりするのでしょう。
共通語だとか方言だとか言ってみても、要するに慣れの問題。
郷に入らば郷に従え…の図式なものですから、飯田・下伊那で
「"いただきました"の用法が誤りだ…」
な〜んてね、真顔で言ったものなら、そりゃ大変なことになりますよ…(笑)
かくして、その知人の彼は、思わぬギャグ人気に味を占めて、その後も進んで食後の掛け声を役をかって出たそうです。
同じように、「まえ」と「うしろ」、「おもて」と「うら」の関係に悩みつつ、結局のところ、今でも
「まえで ⇔ うら」
の関係が身体に沁み付いて抜けないのは、その知人なのです。
<完>


