I can not speak English.
とは、ご存知、あのノーベル物理学賞の受賞者、益川先生が勇気を奮って(?)、ストックホルムでの記念講演に際して、発した言葉だそうです。
先生にしてみれば、勇気を奮って…という言い方は適切ではないかもしれませんが、場所が場所、場面が場面なだけに、どうしてもその勇気に対して拍手を贈りたくなる…そんな英語を話さない、否、話せない日本人が多いのではないでしょうか。
ところが、いざとなれば…この場合の「イザ」とは、例えばポンと英語しか通じない環境に放り出されたりした場合なのですが、こうした場合だったら
「英語をモノにする自信がある」
とする日本人が多いとも聞きます。
本当かなあ…?
要するに、ある意味で非日常の異常事態に見舞われないと、話せるようにならないということでしょう。
益川先生の場合は、頑として英語を話せるようになろうとはせずに、物理学に没頭(?)していたわけで、ひょっとして英語を話せるための努力をしていたら、今般のノーベル賞は無かったかもしれない。
そりゃ、話せないより、話せた方がいいと思いますが、話せなければ話せないで、何とでもなる…
英会話を必須条件に掲げる仕事や、就職先を目指すのであればともかく、先生のように気楽にやりましょうよ…ということですね、きっと。
私たちにもよく分かる「益川節」の味は、きっと英語では伝えきれなかったのではないか、と思います。
彼の地で、日本語の講演を聴くことができた日本人は幸せですね。
<完>
とは、ご存知、あのノーベル物理学賞の受賞者、益川先生が勇気を奮って(?)、ストックホルムでの記念講演に際して、発した言葉だそうです。
先生にしてみれば、勇気を奮って…という言い方は適切ではないかもしれませんが、場所が場所、場面が場面なだけに、どうしてもその勇気に対して拍手を贈りたくなる…そんな英語を話さない、否、話せない日本人が多いのではないでしょうか。
ところが、いざとなれば…この場合の「イザ」とは、例えばポンと英語しか通じない環境に放り出されたりした場合なのですが、こうした場合だったら
「英語をモノにする自信がある」
とする日本人が多いとも聞きます。
本当かなあ…?
要するに、ある意味で非日常の異常事態に見舞われないと、話せるようにならないということでしょう。
益川先生の場合は、頑として英語を話せるようになろうとはせずに、物理学に没頭(?)していたわけで、ひょっとして英語を話せるための努力をしていたら、今般のノーベル賞は無かったかもしれない。
そりゃ、話せないより、話せた方がいいと思いますが、話せなければ話せないで、何とでもなる…
英会話を必須条件に掲げる仕事や、就職先を目指すのであればともかく、先生のように気楽にやりましょうよ…ということですね、きっと。
私たちにもよく分かる「益川節」の味は、きっと英語では伝えきれなかったのではないか、と思います。
彼の地で、日本語の講演を聴くことができた日本人は幸せですね。
<完>


